1930年からバウハウスの第3代校長を勤めたミースですが、。ナチスによって1933年にバウハウスが閉鎖された為、アメリカに亡命する事になりました。
その後、イリノイ工科大学の建築学部長を勤めていた1945年、エディ・ファンズワース女史(シカゴの医師)から予算4万5000ドルで建築の依頼を受けた。
しかし、完成した時は7万3000ドルかかっていた。当時、予算オーバーはよくあったというが、両者の間で金を払わない、払えと互いに訴訟問題になり、ミースが勝って、ファンズワース女史は全額払ったという問題物件。(笑)
ファンズワース邸は白く塗った鉄骨に四面ガラス張りの平屋建て。
広大な敷地の中に、周囲を林に囲まれて建てられている。
別荘として造られたが、ミースは住む人のことはあまり考慮しなかったようだ。
例えば、完成した時、クローゼットはなかった。ファンズワース女史の要請で設置したが、ミースは設置を嫌った。洗濯する場所もない。開閉できる窓は1カ所だけ。夏は暑くて過ごしにくかったようだ。
こんな暴慢な設計でも美しさだけで世界に絶賛される事になる・・・???
・・・私の設計思想には少し反する。(笑)